今から200年以上前、タルタリア帝国という国家が存在していたといわれる。
人々はフリーエネルギーで暮らし、現代に劣らぬ文明で栄えていたというのだ。
しかし、支配者層や災害によって滅ぼされたタルタリア帝国は、歴史からも抹消された。__
タルタリア帝国とはどんな国だったのか、なぜ滅び歴史から消されたのか?
それらの真相や、タルタリア帝国と日本の関係についても迫った。
驚く事に、日本にもタルタリア文明の遺物が数多く残されていたのだ。
タルタリア帝国とは?超高度な文明!
13世紀〜19世紀初め頃まで存在していたといわれる、史上最大の国家。
領土はユーラシア大陸の北側全体・シベリア・中央アジア全体をはじめ、千島列島や朝鮮半島、そして北アメリカ大陸・南アメリカ大陸の一部までも含まれていたという。
タルタリア帝国では多様な系統の人種が共存し、文化的で平和な生活を送り、非常に高度な文明を築いていたそうだ。
フリーエネルギーを生み出す技術がすでにあり、産業は発達し人々はとても豊かな生活を送っていたといわれる。
動く歩道やモノレール、飛行船や自動車などもあり、その全てが電気で動いていたというのだから驚きだ。
タルタリア文明
私たちの隠された歴史 pic.twitter.com/FtSZJ6aeMj— TOYO (@toyo1126Q17) July 27, 2023
燃料を燃やして動力を生み出す媒体がまだまだある現代よりも、よっぽど文明が進んでいて環境にも優しいではないか。
抹消された文明 タルタリア帝国‼️ pic.twitter.com/sE4fSuv4on
— 狗鷲イヌワシ (@inuwasi2) May 26, 2023
タルタリア帝国の建築様式には特徴があり、分かりやすく例えるとインドのタージマハルやワシントンDCのアメリカ議会議事堂などが『タルタリア様式』の建物だといわれている。
建物の上にはドームがあり、先端にはアンテナのようなものが立っているのが特に特徴的だ。
タルタリア帝国では、こういった建物が”フリーエネルギー発電所”として使われていたそうだ。
飛行船の充電などもここで出来るようになっていたという。
また、スターフォート(星形要塞)と呼ばれるこれら城塞のようなものも、タルタリア文明なのだとか。
世界中に500カ所以上残っており、日本にも函館五稜郭のほか、長野にも同じようなものが残っている。
スターフォートは、フリーエネルギーを増幅させて各地に送る中継施設のような役割だったといわれる。
タルタリア帝国には、水の結晶構造を音波で変え、帯電させた水を流して送電するといった技術もあったとされている。
タルタリア帝国が消えた理由
広大な土地と高度な文明で栄えていたタルタリア帝国は、1816年にイギリスを中心とするヨーロッパの闇国家によって滅ぼされたといわれている。
高度な文明と広大な土地を持つタルタリア帝国に対し、闇の勢力は危険を感じたのだろう。
激しい戦争の中、大量の核を撃ち込まれたタルタリア帝国は一夜にして滅びたそうだ。
核爆弾は、本当はこの時代にすでに開発されていたか、異星人からの協力があって核を使いタルタリア帝国を壊滅させたという説がある。
実際に、多くの核が撃ち込まれたといわれるシベリア周辺には、クレーターが元になってできたような丸い湖が多数存在する。
また、シベリアの針葉樹林の木は、ほとんどが樹齢200年以下の木なのだとか。
そして核の影響により大気は汚染され、3年間にも渡る”核の冬”がやってきた。
事実として、1816年は異常低温だった事から「夏のない年」と呼ばれている。
ケベックでは6月に30センチもの積雪があり、ペンシルバニアでは7月の気温が氷点下を記録している。
さらに、核戦争の後には『マッドフラッド』と呼ばれる大洪水が世界中を襲い、大量の泥が積もったといわれる。
人類の文明は、核とマッドフラッドによって一度消滅したのではないかと考えられているのだ。
(マッドフラッドについては、別記事で詳しく紹介しているのでそちらをご覧頂きたい。)
その後はタルタリア帝国の遺跡が次々と破壊され、あらゆる手段で歴史を改ざんし、タルタリア帝国の存在や文明を歴史上から消し去ったのだという。
タルタリア帝国の文明は日本にも残っている
築地本願寺
日本もタルタリア帝国の一部だったといわれており、各地にタルタリア文明による建築物が残っているという。
愛知県の明治村には、興味深い建造物が多々あるようだ。
また、新潟はタルタリアとの交易の玄関口になっていたようで、昭和初期までの新潟市内にはタルタリア様式の建築物が多数あった事が写真からもうかがえる。
そしてこちら↓は、昭和12年の大阪・中之島の様子。
日本とは思えないほど、タルタリア様式が浸透しているようだ。
続いて、こちらは1910年代の東京・旧帝国劇場。
明らかにタルタリア様式の建造物である。
また、日本各地にあった”凱旋門”もタルタリア建築を取り入れたものだったという。
タルタリアにおいて凱旋門は元々、送電に関する役割を持つ建造物だったそうだ。
静岡県には、赤レンガ造りの凱旋門が現存している。
この他にも、タルタリア風の建物たちが昔の日本とは思えないような街並みを作り上げている。
しかし、日本にかつて多数あったタルタリア様式の建築物のほとんどは、現代に残っていない。
江戸時代以降、頻発していた巨大地震や大きな火事によって失われる事になったのだ。
1847年〜1858年にかけては、M7以上の巨大地震が9回も発生している。
そして、海外の闇国家と協力した国内の倒幕勢力が”明治維新”というクーデターを起こし、残っていたタルタリア様式の建築物を次々に焼き払ったという。
実際に1800年代後半は、日本各地で不自然なほど大火事が頻発している。
タルタリア様式の建築物が多かった新潟に至っては、1880年だけでも3度の大火事があり、延べ1万戸以上の建物が消失されているのだ。
これらの地震や大火事は、タルタリアの文明を消し去りたかった闇国家によって引き起こされたといわれている。
しかし、まだタルタリアの文明は少し日本に残っている。
まず、北海道や長野に残るスターフォート。
さらに、国内にいくつかある『赤レンガ倉庫』と呼ばれる建物も、タルタリア文明の名残りだといわれている。
タルタリア帝国では、酸化鉄が含まれていて通電しやすい赤レンガは、電力を蓄積できる”蓄電池”としても扱われていたのだ。
赤レンガは50個で、非常用照明に5時間もの間電力を供給できる。
また、1時間以内で数十万回の充電が可能で、エネルギー効率が非常に高い。
引用:Twitter
長持ちする蓄電池である赤レンガで建造すれば、建物自体に蓄電できるという訳だ。
探せばまだまだ他にも、日本に残るタルタリア文明が見つかるかもしれない。
話が少しズレるが、、
東日本大震災後にパラレルワールドを体験したある人は、日本の江戸時代とイギリスのビクトリア時代が混ざったような不思議な空間に迷い込んだと話している。
一般的な江戸時代のイメージというのは時代劇のような街並みなのだから、タルタリア文明が入り混じる洋風な江戸時代など概念に無いはず。
そのため、不思議な空間に感じたのかもしれないが、それが正しい江戸時代の姿だったのかもしれない。
その人は、もしかすると本当に江戸時代にタイムスリップしていたのではないだろうか。。
詳しくはこちらの記事↓
タルタリア帝国が現代まで実在していたならば、環境問題やエネルギー問題に悩まされてはいなかったのかもしれない。。